Unsounded Voices, 2013

《日本語訳を読む

音のない声: 静寂に生じる音

ダニエル・エクスポジット・サンチェス

日野田崇の作品が1990年代の日本の美術シーンに紹介された時に、激しく批評の反応が起こったと信じるのは難しくない。彼の作品をちょっと見ただけでも、彼の提案は日本の文化が一般的には別々に現してきた二つの本質的な要素を含んでいることがわかる。一方は、表現手段として、陶を使っていること、そしてもう一方で、物語を語らせるために漫画の要素を取り上げていることである。

奇妙なことに、前者の方は、作家が微妙な綾をともなって陶を歪めるために土を使っている。陶芸は、日本が基礎をおいてきた美学的な展開の大きな部分の一つである。一方、後者の場合、漫画に使われる参照源は、キャラクターやその世界でいっぱいの、個的な宇宙の存在を許す、完璧な機能を設定している。それは、人間の状況の軌道と、到底人為の及ばぬ、激しい作法の自然の力とのあいだにある。不動美里が指摘するように、1995年に起こった阪神淡路大震災のような出来事は、大災害が引き起こす破滅に対して、作家に「世界の無力さと脆さ」(注1)への気づきを強いることになる。

したがって、作家の作品は、有機的なものを大きく引き合いに出すオブジェの一団からは離れていった。まず最初に、ここで議論に上がっている作品(写真参照)が彼の制作の中ではより具象的な段階にあるものだったにせよ、もっと細かく分析すると、これらの作品が、日野田が無名の個人に起こる出来事の構造を解決することを通して得られる支えにいかに頼っているかが、明らかになるだろう。そしてそういった無名の個人の運命は、複雑な土のヴォリュームのなかに漂っているのである。学校で学び、形成されてきた彼のデザインの特徴は、しっかりした筆使いの駆使によるものである。その中で、他の線や、目のかたち、手、獰猛な入れ歯、といったものを構成している線と、もうひとつ大変細かなレヴェルで、奇形的なものをつくりあげる働きをしているより細い線との間で、その幅はいろいろ変化している。しかし、そういった技術を駆使した展示は、そのなかでは色彩がより人目を引く存在感を獲得しているが、陶よりも目立っていて、ギャラリーの壁にも移し込まれている。そこでは、イメージが言葉を統御している。この進化の次の段階は、「音のない声」と名づけられたインスタレーションによってたしかめられる。プエルトリコのドラドにある、シタンの保護区の中に日野田が実現した作品である。 2013年の8月に日野田崇は、景観の様々なポイントにインスタレーションの構成要素を配置した。環境に調和した構成をつくりだす意図をもって、高さや面を制御した。この特定の場所でのインスタレーションは、日本語の書物において、もっとも代表的な音節文字のひとつであるカタカナに基づいたシンボルの集合が仕込まれ、かたちづくられている。この機会に、彼は、種々の擬音語を参照するのにこれらの文字を活用した。ここで再び、漫画からの影響が実体化されている。その中で、それぞれの文字の両面に、地味な色の白と黒が、ポジやネガを反転させながら、すごい丸みのある線を見せている。しかしながら、これらの、音節の鋭い、それ自体が特定の場所と完璧に調和した、独立した美術作品として浮かび上がってくるような幾何学図形に続いて、他の漫画の構成要素と同じように、飾り模様への参照が排除されると、どんな物語的な追求も回避されてしまう。

ゆえに日野田は、いくつかの反映を高揚させているように見える。「音のない声」に浸かっている間、作家は観客に、見られ、読まれるが、聴くことはできない声のつながりを見せてくれる。これらの象徴は、自分の役割を果たしているが、実際、それらは擬態し、視覚的に、そこに見出される風景と密接につながりのある多様な音を表象している。そして同時に、それらの感覚は、地面に落ちた、乾いた木の枝や葉っぱの上を歩いて通ってみると、理解できる。それぞれの音節が、知識を超え、ささやき声に変換され、溶けることなく、それらを土の一部に変えていく。こういった、人と自然の想像上の対話は、日本文化の中で何世紀にもわたって一般的に共有されてきた意識である。そういった見方によって、土を使うことから離れて、人工的な素材で実現されたかたちを通して、森の印象に声を与えたのは、まさに日野田その人であることが確固たるものになる。しかし、これは、ヒルガオをかすめて通ったり、木の皮を踏みつけたり、バランスをとったりして、ほとんど、ボソボソというような音を出しながら、この創造物に風がユラユラした動きをもたらしている、この領域だけに浮かんでいる声ではない。したがって、見る人の中に、おそらく植物の会話に満ちた静寂の時間と音によって目印を付けられた風景を、技巧が組み立てている。文字どおり、音のない声が体験されるのである。この、自然が共有しようと決めた、知られざる物語は、都市の眩暈がするような速度とはかけ離れたところにある。

注1:不動美里「2.5次元ドローイングの怪」 日野田崇「変形アレゴリー」に収録(イムラアートギャラリー:2009年発行)